HUMAN-RIGHT
世の中には色んな記号(記号化された)が存在します。
例えば、今では必需品でもある携帯電話。
その番号やクレジットカード会員番号も日常生活において
必然的に使用され何の疑いも違和感もなく受け入れて使用しています。
もちろん自分自身も例外ではなく毎日、目に触れていますし
便利で、もはや手放す事さえできない依存状態である事は事実です。
この番号や記号は他人と区別する為のモノであったり
遠く離れたひと同士が同じモノについて話をする際に記号に置き換える事で
お互いの認識のズレをなくす事にも使用されていたりします。
何の疑いも持つ事なく日常にありふれた記号を生まれながらに
使用していながら皆が疑問に余り思っていないのが
人それぞれにある「 名前 」 「 血液型 」 「 生年月日 」
これも個人を識別する為の最小の記号であると思います。
複雑化する現代社会においてはコレを複合化し組み合わせる事で
バリエーションを持たせ細分化し見事に分類されてしまっています。
人は皆、生身の人間ですし時と場合により番号で呼ばれる場面に
おいてソレを不快感に感じる事が多々あると思います。
しかし街を行き交う中で、ふと視線を送ったその先にあった
デジタル時計の時刻が「 誕生日 」の数字を表していた時など
自分自身に縁のある記号や数字に遭遇するとなぜか心地良く感じたりします。
そこには思い入れによる「 愛着 」があり気持ちのウエイトが大きく繁栄されています。
無機質な「 記号 」 「 数字 」に利便性は感じても
完全に受け入れたくない気持ちがあります。
所謂、「 らしさ 」であり社会が急速に変化する中でも人間自体は
少しの変化で留め感情的な生き物である事にコレから先も変わりはないのです。
完全に記号化されるのではなく、また受け入れを拒否するのでもなく
どう、付き合って行くかがこれからのテーマであると思います。
もちろん戯言程度の話と理解して下さい。


