Bo, you don't know DIddley!

R&R,R&Bの殿堂入りを果たし、偉大なる[BO BEAT]の創始者であった
BO DIDDLEYが6/2に亡くなった(享年79歳) 。
トレード・マークであったハットに黒縁メガネ、長方形(またはもっと変形)の
ギターを抱えた彼のスタイルは本当にオリジナルだった。
僕はストーンズやクラッシュを経由してボ・ディドリーの存在を知った。
カッコイイと思ってるバンドが影響受けたって言ってるんだから
こっちも気になるに決まってる。
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そういえばロン・ウッドと来日したなー、
[Radio Clash]でもボ・ディドリーの曲かかってたなー。
一度買い付け先のバークレーのレコ屋の倉庫からバイクにまたがった
ボ・ディドリーのチェス・オリジナル盤コーティング・ジャケがザクザク出て
興奮しながら買い漁ったこともあった。
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[HAVE GUITAR WILL TRAVEL] このスクーター最高!
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[BIG BAD BO] ブレイクありの“Hit Or Miss”よくかけてた

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80年代後半から90年代初頭にかけてMLBとNFLの両方同時に所属してプレイした
Bo Jacksonというプレイヤーがいた。
アメリカの2大プロ・スポーツであるメジャー・リーグとアメフトを掛け持ちした選手は
他にも存在するが、ボー・ジャクソンは89年MLBのオールスター・ゲームに選出され
MVPに輝き、翌年はNFL版オールスター、プロ・ボウルにも出場を果たした
史上唯一のプレイヤーである。
この活躍に眼をつけたNIKE社は同年“Bo Knows” キャンペーンを大展開、
その時CMに起用されたのがボ・ディドリーだった。

要するに[BO]つながりというだけなのだが、このセンスにはしびれた。
BoDidleyNike.jpg
↑当時ナイキからボ・ディドリーのTシャツが出ていて、
そのCMを知らなかった僕は「なんでナイキがボ・ディドリー?」
と、首を傾げながらも速攻でゲットしたのを憶えている。

R.I.P. Bo!

DEEP OSAKA WALKER #1

先週末はDJで久しぶりに大阪へ。
超ベタなスポットにも訪れたけど、
そちらは同行したBucciBlogで見てもらうとして http://imag012.exblog.jp/ 
ココではディープ・スポットを紹介。

日本一長い商店街」として知られる天神橋商店街に連結する
天五中崎通商店街にあるたこ焼き屋さんを紹介されひたすら歩く。
喫茶店、お好み焼き屋、豆腐屋、寿司屋などが軒を連ねる
松山で言えば三津浜商店街もビックリの下町度全開の商店街。
中でも「大阪発 自家特製カレー麺」の看板を掲げる
力餅食堂』が目を引いた。カレーを練り込んだ麺...?

[力餅食堂]
大阪市北区中崎1-9-2
Tel 06-6372-1458
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↑店の外観。ロゴの完成度の高さに思わず唸る。
 BEAMS辺りでTシャツ売っててもおかしくない。
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↑「カレー麺ざる」まだコレはイイ
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↑「カレー麺 皿うどん」コレは衝撃的な見た目!
 一見パスタのように見えるがカレー麺にカレーをかけている...


[たこ焼き うまい屋]
大阪市北区浪花町4-21
TEL 06-6373-2929
朝11:30~夜7:00(売り切れ次第閉店)
定休日---休日 火曜日(祝日の場合は営業)
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↑まるで[DMC World Championship]ばりにツインでビートを刻む親子
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↑生地の味だけで味わえる物凄いシンプルなたこ焼き
 やっぱり美味しい店は地元の人に教わるのが1番。
 商店街終点手前ここだけ行列が出来てるのですぐ発見できる。


ココにはマクドナルドやスターバックスなど一切存在していない。
阪神キャップ着用(乗せてるだけ)の親父や、冬場ならアニマル柄の
セーターを着たおばちゃんが多数生息していることだろう。
梅田からちょっと足を延しただけでディープ大阪体験できる。
道に迷ってもその辺にいる親父が勝手に教えてくれる。

UK-UWAJIMA

[UK77] / 写真+絵+貼:大竹伸朗
Digging my way to London 
大竹伸朗、21歳、パンク吹き荒れるロンドンでみたものの大部分
2004年6月30日発売
B5判 ハードカバー 
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ロンドンへの穴掘り 大竹伸朗
『1977年5月3日から1年あまりをイギリスで過ごした。
その大半はロンドンだ。入国半年後、観光ビザが切れヴィクトリア駅前から
激安「マジックバス」で10日間程パリに出た以外は結局一年あまりを
ロンドンで過ごした。それが初めての海外での一人暮らしだった。』

この書籍は大竹伸郎が初の海外渡航した英国での放浪旅行を記録した
スクラップブック的な写真集。
大竹の眼に映った、おそらく最も「ロンドンが燃えていた」であろう
時代の空気を感じることが出来る一冊。
あまりにもこの本を気に入った僕はしばらく図書館から借りパクしていたものだ。
(結局返却したが…)
こういった本は一度買い逃すとすっかり諦めて忘れてしまっているものだが、
先日友人から誕生日にプレゼントしていただいた。
本当に嬉しかった。
また自分の中に大竹ブームがやってきて、
以前テレビで大竹特集を組んだ『情熱大陸』のヴィデオを早朝から観てしまった。


ちなみに大竹伸朗とは

大竹伸朗 Shinro Ohtake
1955年生まれ。
コラージュなどの絵画や、ゴミやガラクタを寄せ集めて作るオブジェの創作のほか、
ボアダムズのEYEとのユニット・パズルパンクス、JUKE/19などでの音楽活動や、
著述活動など、80年代以降多様かつ多産な創作を展開している。
国内外問わず多数の展覧会に出品。
造本家としての活動にも力を注いでおり、
画集のみならず、絵本や小説、マンガ、エッセイ集、ぬり絵なども刊行。
紙面の上に別の紙を貼り込んだり、栞ひもの先に別な小さな冊子を付けたりと、
出版の特性を活かした表現を追求する。
1988年より愛媛県宇和島市に移住。活動の拠点を移す
2006年、東京都現代美術館で大回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」を開催。

僕は全く職業として成立していないライター業もやっている。
これはマトモな文筆家なら絶対否定するであろう『カットアップ』という
技法に拠るところが大きい。
(人によっては『パクリ』とも言うだろう)

-カットアップの技法を世界的に有名にさせたジャンキー小説家、
ウィリアム・S・バロウズが、
大竹の信奉者だと公言していたという事実は80年代的ポップを考える上で興味深い。
カットアップとは小説や雑誌、新聞などの中にあるテキストを、
単語や一定の長さの小文ずつに切りきざんで分解したあと、無作為に並べ替えて、
一つの文章に再構成する技法のこと。
カットアップされたテキストは当然支離滅裂な言葉のつらなりと化すが、
辿っていくと一つ一つの言葉が何らかのイメージを喚起することになる。
言うまでもなく大竹のコラージュ作品はバロウズのカットアップとよく似ている-

EGO-WRAPPIN’のアルバム[On The Rocks!](2006年)の
ジャケットに施された水彩画も大竹の手によるものだ。
どうしても大竹にジャケを依頼したかった森ラッピンこと森雅樹は
単身電車に乗り宇和島を訪れ親交を深めたという。
OtakeEGOjkt.jpg
このアルバム用のポスターを森君から貰った時、真っ先に思いついたのが
大竹さんに落書きしてもらうことだった。
せっかく松山から車で何時間か飛ばした場所に大竹さんがいるのだから。
と、言いつつもなかなかそんな時間もタイミングも無く
ポスターは丸めて筒に入れたままだったのだが、
ある日ひょんなことから知人がこのポスターを大竹さんのもとに届けてくれた。
ただ結局遠慮して「よかったらサインお願いします」
程度のリクエストに落ち着いていたのだが、
しばらくしてこのような立派な大竹作品に仕上がって返ってきたのだ。
全ての出遭いに感謝。
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いつか松山で大竹さんの個展をやってみたいなどと大それたことも妄想中。
モチロン立派な美術館や広告代理店の力など一切借りずに。

(文中一部敬称略)

LA REVOLUCION NO SE TELEVISARA

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バー・マリアッチならぬバー・シーザーにてラディオチャンゴー芸人大集合!
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