Life Story #3

Life Story #3
今回は3冊!

ショーケン
萩原健一
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1番最近読んだ本。誕生日にいただき5時間で読破した。
僕はショーケンも松田優作もそれほど影響を受けてはいないが、
この本はとても面白かった。

words for a book
大江慎也×小松崎健郎 著
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ルースターズ大江が自身の半生を語り下ろした初の著書(2005年)
読んだ後プレゼントしたので、もう手許にはない。
最も会ってみたい人物の一人。

スティル エコー 静かな響き
小玉和文
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孤高のトランペッター小玉さんが奏でる心をくすぐる風景。
MUTE BEATの頃、『レゲエ・マガジン』で連載していたものに
加筆訂正を加え、挿絵も本人が描いている。
今回、KMJで小玉さんにお会いできて本当に嬉しかった。
全国の小学校の図書館に所蔵すべき1冊。

JOURNEYMAN

ジャーニーマン(Journeyman)とは、
プロスポーツでいくつものチームを渡り歩く選手のことである。
直訳すると「旅人」という意味だが、「職人」という意味でも用いられる。
トレードされたり、解雇されてもすぐに別のチームで必要とされ契約に至るケースが多い。
アメリカのプロスポーツは移籍が頻繁に行われる為、
該当する選手にしばしばこの言葉が用いられる。
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野茂英雄のプレイヤーとしての旅は終わった。
自分の能力を信じ、妥協することなくチャレンジし続ける
その姿勢は自ら進んでジャーニーマンの道へ向かっていったかのようだ。

野茂の詳しい球歴は下記で見てもらうとして、
http://www.ocn.ne.jp/sports/espa/nomo/memory/index.html 
日本のプロ野球(NPB)、メジャー・リーグ(MLB)、マイナー・リーグ、
さらに独立リーグまで、野茂はプロ野球選手として
一体何球団のユニフォームを着たのか?可能な限り追ってみた。
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1990年 / NPB 近鉄バファローズ / 背番号11

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1995年 / テキサス・レンジャーズ傘下1Aベイカーズフィールド・ブレイズ / 背番号40
*メジャー・デビュー前にカリフォルニア・リーグのチームで調整登板

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MLB ロサンゼルス・ドジャース / 背番号16

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1998年 / MLB ニューヨーク・メッツ / 背番号16

1999年 / シカゴ・カブス傘下3Aアイオワ・カブス / 背番号不明

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MLBミルウォーキー・ブリュワーズ / 背番号11

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2000年 / MLBデトロイト・タイガース / 背番号23

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2001年 / MLBボストン・レッド・ソックス / 背番号11

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2002年 / MLBロサンゼルス・ドジャース / 背番号10

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2005年 / MLBタンパベイ・デビルレイズ / 背番号11
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ニューヨーク・ヤンキース傘下3Aコロンバス・クリッパーズ / 背番号不明 

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2006年 / シカゴ・ホワイトソックス傘下3Aシャーロット・ナイツ / 背番号不明

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2007年 / ベネズエラ ウィンター・リーグ カラカス・ライオンズ / 背番号34

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2008年 / MLBカンザスシティ・ロイヤルズ / 背番号91


NOMO MANIAなる言葉が生まれるほど熱狂的なファンを生んだ
メジャー・デビューから僅か3年で野茂はあれほど馴染んでいた
ドジャー・ブルーのユニフォームを脱ぎ、ニューヨークへと新天地を求めた。
その後はご覧のとおり毎年のように球団移籍を繰り返し、
何度もマイナー・リーグ生活を体験している。
その都度、幾度となくメディアからは野茂限界説が唱えられたが、
ボストンでのノーヒッター達成、2度目のドジャース在籍時にはキャリア・ハイの
成績を残すなど、常に外野の声を(良い意味で)裏切っていった。
2005年のデビルレイズ以降はメジャー昇格もなく、
ベネズエラのウインター・リーグで登板する姿が報道されるなど、
この年齢でこれだけの長いブランクは、
さすがにもうメジャー復帰は無理だろうと絶望視されていた。
しかし、またもその予想は覆された。
今年、ついにロイヤルズで奇跡のメジャー復帰を果たしたのだ。
結果こそ残せなかったが、この最後の登板は一生忘れることはないだろう。
ドジャース時代の背番号16を逆さまにした91を背負った野茂の勇姿を。
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beatz and wordz against hypocrisy

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カマタヒロシを始めとする精鋭たちが、
持ち前の選曲を披露する事だけでお送りするというとてもシンプルなパーティ。
それは誰が聴いても、何度聴いても面白い選曲である。

DBR

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2008/07/20(SUN)
"Down Beat Ruler" in HIROSHIMA
@広島クラブクアトロ
THE SKA-FLAMES
WADA MAKOTO(カセットコンロス)
THE ZOOT 16
EKD & Pachucabras
FRESH LEMONS
MCジャーゲジョージ(RUB-A-DUB MARKET)
DJ Kamata Hiroshi & more & more!! 

http://www.club-quattro.com/hiro_info.php?year=2008&month=07&id=123360

WALK THIS MANGA WAY

bounce 300号(2008年06月25日発行)
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TOWER RECORDSが毎月発行するフリー・マグ[bounce]最新号にて
連載中の『UJTのマンガ DROP!』が連載100回目記念として
UJT先生fromマン画トロニクスのインタビューがまるごと1ページ掲載されています!
UJT先生といえばremix誌で連載中の『やばいこ学園』など
音楽好きな人なら一度は目にしたことあるであろうDEFなタッチの四コマ!
僕は熱烈なUJT作品のファンでコミックスも全種集めてたのですが、
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チリンヶ丘三丁目(2003)
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ハイ!こちらFRESH研究所(2004)
ひょんなことから自分のプロフィール用イラストを描いていただき
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↑似てる似てないというより、こっちがこの顔ソックリになりたい(笑)
ますます注目するようになりました。
年内にはコミックス最新巻も予定してるらしいDEF!!
http://www.mangatronix.com/ujt/
↑UJT作品はこちらでCHECKされたし

LA REVOLUCION NO SE TELEVISARA

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バー・マリアッチならぬバー・シーザーにてラディオチャンゴー芸人大集合!
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http://earthbeat.info/?mode=f5


POLITIK KILLS

UK-UWAJIMA

[UK77] / 写真+絵+貼:大竹伸朗
Digging my way to London 
大竹伸朗、21歳、パンク吹き荒れるロンドンでみたものの大部分
2004年6月30日発売
B5判 ハードカバー 
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ロンドンへの穴掘り 大竹伸朗
『1977年5月3日から1年あまりをイギリスで過ごした。
その大半はロンドンだ。入国半年後、観光ビザが切れヴィクトリア駅前から
激安「マジックバス」で10日間程パリに出た以外は結局一年あまりを
ロンドンで過ごした。それが初めての海外での一人暮らしだった。』

この書籍は大竹伸郎が初の海外渡航した英国での放浪旅行を記録した
スクラップブック的な写真集。
大竹の眼に映った、おそらく最も「ロンドンが燃えていた」であろう
時代の空気を感じることが出来る一冊。
あまりにもこの本を気に入った僕はしばらく図書館から借りパクしていたものだ。
(結局返却したが…)
こういった本は一度買い逃すとすっかり諦めて忘れてしまっているものだが、
先日友人から誕生日にプレゼントしていただいた。
本当に嬉しかった。
また自分の中に大竹ブームがやってきて、
以前テレビで大竹特集を組んだ『情熱大陸』のヴィデオを早朝から観てしまった。


ちなみに大竹伸朗とは

大竹伸朗 Shinro Ohtake
1955年生まれ。
コラージュなどの絵画や、ゴミやガラクタを寄せ集めて作るオブジェの創作のほか、
ボアダムズのEYEとのユニット・パズルパンクス、JUKE/19などでの音楽活動や、
著述活動など、80年代以降多様かつ多産な創作を展開している。
国内外問わず多数の展覧会に出品。
造本家としての活動にも力を注いでおり、
画集のみならず、絵本や小説、マンガ、エッセイ集、ぬり絵なども刊行。
紙面の上に別の紙を貼り込んだり、栞ひもの先に別な小さな冊子を付けたりと、
出版の特性を活かした表現を追求する。
1988年より愛媛県宇和島市に移住。活動の拠点を移す
2006年、東京都現代美術館で大回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」を開催。

僕は全く職業として成立していないライター業もやっている。
これはマトモな文筆家なら絶対否定するであろう『カットアップ』という
技法に拠るところが大きい。
(人によっては『パクリ』とも言うだろう)

-カットアップの技法を世界的に有名にさせたジャンキー小説家、
ウィリアム・S・バロウズが、
大竹の信奉者だと公言していたという事実は80年代的ポップを考える上で興味深い。
カットアップとは小説や雑誌、新聞などの中にあるテキストを、
単語や一定の長さの小文ずつに切りきざんで分解したあと、無作為に並べ替えて、
一つの文章に再構成する技法のこと。
カットアップされたテキストは当然支離滅裂な言葉のつらなりと化すが、
辿っていくと一つ一つの言葉が何らかのイメージを喚起することになる。
言うまでもなく大竹のコラージュ作品はバロウズのカットアップとよく似ている-

EGO-WRAPPIN’のアルバム[On The Rocks!](2006年)の
ジャケットに施された水彩画も大竹の手によるものだ。
どうしても大竹にジャケを依頼したかった森ラッピンこと森雅樹は
単身電車に乗り宇和島を訪れ親交を深めたという。
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このアルバム用のポスターを森君から貰った時、真っ先に思いついたのが
大竹さんに落書きしてもらうことだった。
せっかく松山から車で何時間か飛ばした場所に大竹さんがいるのだから。
と、言いつつもなかなかそんな時間もタイミングも無く
ポスターは丸めて筒に入れたままだったのだが、
ある日ひょんなことから知人がこのポスターを大竹さんのもとに届けてくれた。
ただ結局遠慮して「よかったらサインお願いします」
程度のリクエストに落ち着いていたのだが、
しばらくしてこのような立派な大竹作品に仕上がって返ってきたのだ。
全ての出遭いに感謝。
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いつか松山で大竹さんの個展をやってみたいなどと大それたことも妄想中。
モチロン立派な美術館や広告代理店の力など一切借りずに。

(文中一部敬称略)